阿曽沼城
JR・東武「佐野駅」から南東へ約1km。佐野女子高校から東武鉄道を隔てた東約150m。県道67号と県道9号が交差する「浅沼町」信号から300m程西進した3本目の路地を左折し、道なりに300m程南下した右手にある浅沼八幡宮が城跡です。八幡宮の北または西側に駐車可能です。
別名
所在地 栃木県佐野市浅沼町
遺構等 土塁、横堀、碑、説明板
現状 浅沼八幡宮
築城年 寿永年間(1182-85)
築城者 阿曽沼四郎広綱
歴代城主 阿曽沼氏
形式 平城
訪城日 2010/6 感想
【歴史】
八幡宮の東側に横堀が残っています。また八幡宮に城址碑や説明板、標柱があります。東西約180m、南北約230mの単郭だったようで、居館といった感じです。
【感想・メモ】


【道案内】
城跡の地図
寿永年間(1182-85)、佐野氏一族の阿曽沼四郎広綱が築城し、以後阿曽沼氏が代々居城した。広綱は頼朝方として、野木宮合戦や文治5年(1189)の奥州平定に功績を残し、陸奥国遠野保(遠野)の地頭職に任じられ、子の親綱は承久の乱(1221)の功績から安芸国荒山荘の地頭職となった。しかし、南北朝期の文和年間(1352-56)頃、小山氏政の台頭により阿曽沼郷を横領され、阿曽沼氏は没落した。

(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
あそぬまじょう
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