高幡城

二郭から主郭方面を見る
別名
所在地 東京都日野市高幡
遺構等 曲輪、堀切、竪堀
現状 高幡不動尊
築城年
築城者
歴代城主
形式 山城(比50m、標130m)
訪城日 2011/2 感想
【道案内】 城跡の地図
京王線・多摩モノレール「高幡不動駅」から西へ約400mにある「高幡不動尊」の裏山が城跡で、高幡不動尊に参拝者用無料駐車場があります。
【感想・メモ】
高幡不動尊の裏山は「山内八十八カ所順拝路」が整備されており、「高幡不動尊境内散策案内図」の看板に高幡城址と書いてあります。ただ、この順拝路のせいでお城の遺構は良く分からず、突然、堀切があると思ったら、階段の脇に「高幡城址」の看板がありました。この上が二郭のようで南北に細長く、東側に竪堀?と思われるものが見られます。この先端(南)が主郭のようです。ほかにも散策路を歩いてみたのですが、遺構は良く分かりませんでした。
【歴史】
この城についての記録は見当たらず詳細不明。享徳4年(1455)1月、関東公方足利成氏と関東管領山内上杉氏・扇谷上杉氏連合軍が分倍河原や立河原で戦い(第一次立河原合戦)、上杉方先鋒の上杉憲秋は敗れてこの高幡不動まで逃れ自殺しており、この頃には城が存在していた可能性もある。永正元年(1504)の第二次立河原合戦も高幡城下の原野で行われており、高幡城が拠点の一つとして使われた可能性もある。天正8年(1580)付けの「北条氏照印判状」に「高幡之郷平山大学助知行分」とあり、この地方の土豪、平山氏が北条家臣として守備していたと思われる。 

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
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たかはたじょう