城跡の地図
世田谷城
別名
所在地 世田谷区豪徳寺2丁目
遺構等 土塁、空堀、説明板
現状 世田谷城址公園、豪徳寺
築城年 14世紀後半
築城者 吉良治家
歴代城主 吉良
形式 丘城
訪城日 2007/9/8
【道案内】


【感想・メモ】
せたがやじょう
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東急世田谷線「上町駅」から北へへ約300m、「宮の坂駅」から東へ約300m。「上町駅」東側の通りを300m程北上すると左手に「世田谷城址公園」があります。この公園から北側の豪徳寺にかけてが城跡です。豪徳寺に参拝者用駐車場があります。
世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に位置し、西・南・東の三方を鳥山川が蛇行し、北には小支谷が入る。14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まるといわれる。吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流である。はじめ、鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると、関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)、には世田谷城は攻略されたと伝えられるが、後に吉良氏の手に復した。この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正18年(1590)、豊臣氏の小田原攻略により世田谷城も廃城となった。(現地説明板より)
【歴史】
城址公園に土塁と空堀が残っています。広い公園を想像していたので、たったこれだけ?とキョトンとしてしまいました。城址公園から豪徳寺の間の住宅地にも空堀が残っているらしいのですが、どこにあるのか分かりませんでした。