葛西城 |
別名 | |
所在地 | 葛飾区青戸7丁目 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 葛西城址公園、御殿山公園 |
築城年 | 15世紀 |
築城者 | |
歴代城主 | 大石 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/1/27 |
御殿山公園に発掘調査をした時の様子について書かれた説明板があり、これを見ると中川右岸の微高地に築かれた南北に細長い(南北700mぐらい)城跡だったことが分ります。1972年、環七通りを建設する際に発掘調査をし、遺構は道路の下に保存されたようです。この御殿山公園には他にも、お城の説明板と、「青砥藤綱城跡」の碑があります。葛西城址公園の方は、ただの公園で特に何もありませんでした。 |
かさいじょう |
京成電鉄「青砥駅」から北へ約1km。国道6号「青戸八」信号を南へと環七通りへ入ります。200m程南下した左手に「葛西城址公園」があり、右手に「御殿山公園」があります。この付近一帯が城跡です。 |
葛西城は、中川の沖積微高地上に築かれた平城で、沖積地に存在しているため地表で確認できる遺構は認められない。築城者・築城年は不明だが、天文7年(1538)2月には、北条氏綱によって葛西城は落城したとあり(『快元僧都記』)、その後、葛西城は後北条氏の一支城となり、幾多の争乱の舞台となった。後北条氏滅亡後、葛西城は徳川氏の支配下に入り、葛西城跡は将軍の鷹狩の際の休息・宿舎(青戸御殿)として利用され、明暦3年(1657)頃に取り壊された。(現地説明板より) |