吉田佐太郎陣屋 |
遺構はありません。了善寺から1km程東の「欠真間公園」(欠真間2−4)にある説明板に、この寺に陣屋を置いたと書いてあります。 |
別名 | |||
所在地 | 千葉県市川市相之川2丁目 | ||
遺構等 | |||
現状 | 了善寺 | ||
築城年 | |||
築城者 | 吉田佐太郎 | ||
歴代城主 | 吉田佐太郎 | ||
形式 | 陣屋 | ||
訪城日 | 2010/3 | 感想 | × |
よしださたろうじんや |
地下鉄東西線「南行徳駅」から北西へ約900m。県道50号「相之川」信号から200m程北東へ進んで左折し、250m程北上した左手にある了善寺が陣屋跡です。 |
行徳は塩を生産しており、徳川家康が関東を治めるようになると天領とした。吉田佐太郎は行徳を治めた代官で、製塩奨励のために「塩浜開発には5年間の諸役を免除し、その後は生産高の十分の一を年貢として納めればよい」という触れを出している。 『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』千葉県教育委員会発行、欠真間公園の説明板 参照 |