手賀城 |
お寺の西側から20m程北へ歩くと神社手前の畑入口に城址碑があり、ここが主郭だったようで、畑の北〜東にかけて土塁が一部残っています。また、お寺から50m程西にも土塁と空堀跡があります。お寺は二郭だったようで、山門脇に「興福院・手賀城跡」と書かれた標柱があります。周辺を歩くと他にも土塁や空堀が散在しているようです。 |
別名 | |||
所在地 | 千葉県柏市(沼南町)手賀 | ||
遺構等 | 土塁、空堀、碑 | ||
現状 | 興福院、畑 | ||
築城年 | |||
築城者 | 原胤親 | ||
歴代城主 | 原氏 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2010/1 | 感想 | △ |
てがじょう |
県道282号「東台」バス停付近の信号を北東へ入り、1.5km程北上して角にGSがある所で左折し、200m程西進して右折、道なりに100m程北上して右折すると正面に興福院があります。この付近一帯が城跡で、お寺に駐車可能です。 |
千葉介勝胤から手賀600貫を受領し、その子・胤親と孫・久胤が居城したといわれる。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めによって落城したといわれる。我孫子市都部の正泉寺に胤親と、二代目城主久胤の弟胤重の位牌があり、胤重は後に徳川氏の旗本の与力に登用されたという。(『日本城郭大系』新人物往来社発行、『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書T』千葉県教育委員会発行 参照) |