城跡の地図
鹿渡城
小道を歩いていると土塁が見えるのですが、これはお城と関係ないのでしょうか?城跡は一時公園整備されたものの、その後放置されたようで、山林のままよりかえって藪が酷いと思います。主郭は歩くのもままならずといった状態ですが、土塁が取り巻いています。その周囲には横堀が巡り、南側には更に土塁と堀があります。北側先端まで行くと、下方に田とJRの線路が見えます。尚、資料によって「ししわたし」や「しかわたし」となっていますが、地名は「しかわたし」のため、城名も「しかわたしじょう」にしました。
【感想・メモ】
別名 獅子ヶ鼻砦
所在地 千葉県四街道市鹿渡
遺構等 曲輪、土塁、横堀
現状 郷土の森、山林
築城年
築城者
歴代城主
形式 平山城
訪城日 2009/2 感想
【道案内】


しかわたしじょう
【歴史】
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JR総武本線「四街道駅」から北東へ約2km、「物井駅」から南西へ約1.8km。四街道駅南口から600m程東進した信号を直進し、道なりに1.2km程北東へ進むと、右手に「善光寺」がある付近で道がクランク状に右に折れ、100m先で左に、更に100m先で右に折れます。この2回目の右に折れる箇所で左(北)の小道へ入ります(ここから車は無理ですが、周辺は道が狭く駐車場所もないです)。このまま300m程北上すると城跡で、「郷土の森」という公園名になっていますが、特に整備もされていませんでした。
鹿渡城及びその城主は文献史料に登場しないものの、千葉氏の諸系図中の臼井氏一族の中に、鹿渡氏や山無(梨)氏の名が見え、「鹿渡太郎」「鹿渡小太郎」が13世紀代に存在したとみられる。鹿渡城の南西約2.5kmに位置する和良比堀込城は永禄9・10年(1566・67)頃、里見氏が東葛飾や印旛地域を侵攻するため関宿方面へ進出する際、中継基地的な役割を担っていたと考えられ、鹿渡城も一時里見氏の支配下にあった可能性がある。(『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書T』千葉県教育委員会発行、『図説房総の城郭』千葉城郭研究会編 参照)