芝原城 |
二郭の横堀
公園は二郭・三郭の北半分で、二郭に説明板があり、この東側に堀跡が、北側に土塁があります。更に東が三郭ですが、遺構は分からず。二郭・三郭の南半分は宅地で完全に壊されています。主郭は二郭の西で、通ってきた道を戻るのですが、道路沿いに土塁と思われるものがあるもののはっきり分からず。公園部分にもっと何かあるのか期待したのですが、ただの自然公園といった感じでした。 |
別名 | 中峠城、柴原城 | ||
所在地 | 千葉県我孫子市中峠 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、説明板 | ||
現状 | 古利根公園自然観察の森、宅地 | ||
築城年 | |||
築城者 | |||
歴代城主 | 河村氏 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2010/1 | 感想 | △ |
しばはらじょう |
JR成田線「湖北駅」から北へ約900m。国道356号「湖北駅入口」信号から800m程西進した信号を右折します。500m程北上した信号を直進し、50m先を右折します。道は狭く切通しのような感じですが、この通りの両側が城跡です。300m程東進すると台地上に出て、左手に「古利根公園 自然観察の森」があり、この付近の余白に駐車すると良いでしょう。 |
往時は城の北側眼下に利根川の激流が大きく湾曲し、北相馬郡取手と相対していた。この地域一帯は平将門の遺領といわれ、将門創築の説もあるが定かでない。永正年間(1504-21)、土豪柴原氏が修築して居城していたともいわれる。『本土寺過去帳』によると戦国時代の城主は小田原後北条氏の家臣でもと相模の在地土豪・河村氏で、河村氏は後北条氏の勢力伸張に従いこの地に移った。後北条氏滅亡の際、芝原城を守っていた城代林伊賀守順道が自刃したとの言い伝えが残っている。河村氏開基の法岩院が近くに建立されている。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照) |