大多喜城 |
復興天守がある本丸手前に二の丸があり、天守付近には土塁が若干残っています。また、大多喜高校へ入ると薬医門が目に飛び込んで来て、高校の駐車場にはとても大きな井戸もあります。大多喜駅の西側には大手門跡の標柱もあります。 |
いずみ鉄道「大多喜駅」から西へ約400m。大多喜高校の西側にある県立中央博物館が城跡で、博物館に無料駐車場が完備されています。 |
薬医門
別名 | 大滝城 | ||
所在地 | 千葉県大多喜町大多喜 | ||
遺構等 | 復興天守、曲輪、土塁、井戸、碑、説明板 | ||
現状 | 県立中央博物館 | ||
築城年 | 天正18(1590) | ||
築城者 | 本多忠勝 | ||
歴代城主 | 本多、阿部、青山、稲垣、松平 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2005/7/27 | 感想 | ○ |
おおたきじょう |
天正18年(1590)、家康の関東移封に伴って関東に入国した重臣・本多忠勝が上総国大多喜に封じられ、大多喜城を築城し、安房国里見氏のおさえとした。本多氏の後、阿部、青山、稲垣氏と城主を経て、元禄16年(1703)、松平氏が9代続いて、明治を迎えた。 |