大野城 |
中学校の校門脇に説明板があります。校舎の奥にあるグランドは低い位置にあり、その手前は山林になっていて、土塁や空堀に見えるところもあります。城域は広く、中学校北西にある浄光寺やJR武蔵野線の西側にある大粕小学校も城域だったようです。 |
別名 | 御門城 | ||
所在地 | 千葉県市川市大野町3丁目 | ||
遺構等 | 土塁、空堀、説明板 | ||
現状 | 第五中学校 | ||
築城年 | 天慶年間(938-47)頃? | ||
築城者 | 平将門? | ||
歴代城主 | 平将門?、太田氏?曽谷氏? | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2009/2 | 感想 | △ |
おおのじょう |
JR武蔵野線「市川大野駅」から南東へ約500mにある第五中学校付近一帯が城跡です。周辺は道が狭いので気をつけてください。 |
この台地は城山と呼ばれ、台地を中心とした一帯には、御門・殿台・殿内・迎米・馬寄場・楯台・根古屋など中世城跡をしのばせる地名や空堀の跡、土塁、抜け穴等が残っている。しかし、いつ誰によって築かれたものかの詳細は不明である。地域に残る伝承では、関東を征服しようとして、天慶の乱を起こした平将門が、下総国西南部を鎮圧するために築いた城で、大野一帯は乱の後、将門配下の将兵によって開墾された土地であるという。また一説に、太田一族の居城であったとか、曽谷氏に関係ある城とも考えられる。昭和44年に第五中学校、54年に第五中学校と大柏小学校の一部を発掘調査した結果、天慶の頃(938-947)の将門伝説と結びつけるのは無理で、中世戦国時代に相当する城跡でないかといわれる。(現地説明板参照) |