根戸城
地主の方の許可を得て、南東隅の民家庭先を通って登城しました。ここから階段を上がると主郭南下の腰郭となります。主郭には土塁が巡り、西と南に明瞭な虎口があり、郭の真ん中に祠があります。西側の二郭との間の堀切も明瞭で、土橋を通ると二郭です。ニ郭にも土塁があり、その西側にも堀切があります。また、主郭周囲の空堀も見応えがあります。主郭の南東には櫓台がありますが、すぐ下は道路。櫓台を壊さないためここだけ残しています。この下(道路側)に説明板があります。全体に整備されてとても見やすく、楽しめるお城です。
【歴史】
【感想・メモ】
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主郭北の横堀

JR常磐線「北柏駅」から南東へ約600m。国道6号「台田」信号を南へ入り、400m程南下してJRをくぐり、更に200m程南下した右手の小山が城跡です。
城跡の地図
【道案内】

主郭西の虎口と土橋

別名
所在地 千葉県我孫子市根戸
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年
築城者
歴代城主
形式 平山城
訪城日 2011/4 感想

『東葛飾郡誌』に、相馬胤村次郎左衛門の三子三郎胤光が根戸氏を称しており、彼が城主ではないかと考えられる。胤光は正応3年(1290)頃で、城の現在見られる遺構は戦国末期頃と思われ、年代は合わない。また、『東葛飾郡誌』とその根本資料『富勢村誌』には、城山の西南麓の通りに「道灌橋」という橋と字名があること、9km南の酒井根村で太田道灌と千葉孝胤が文明10年(1478)12月に合戦をしており、地元では太田道灌の築城説もあると記している。『東葛飾郡誌』は城内にある塚を道灌の臣の墳墓としているが、『富勢村誌』は古墳だとしている。16世紀の北総地区は、後北条氏方の高城氏(小金城)とそれに敵対する簗田氏(関宿城)や相馬氏(守谷城)が争っていた。手賀沼の奥まったこの根戸城付近は水上・陸上ともに交通の要衝で戦略上非常に重要な場所だったと考えられる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書T』千葉県教育委員会発行
『東葛の中世城郭』千野原靖方著/崙書房出版
ねとじょう