荒海城 |
鳥居からは登り道があり、上がりきると土塁が見えますが、城跡は酷い竹薮で、藪を突き進むと堀切の先に主郭があります。城跡北側からも登ってみたら、こちらにも堀切がありましたが藪を歩くのは同じです。主郭の土塁上を歩いて回ったのですが藪すぎて何が何だか分からなかったです。尚、この付近の住所は「あらうみ」なのですが、城名は「あらみ」というようです。 |
別名 | |||
所在地 | 千葉県成田市荒海 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | |||
築城者 | 荒見(荒海)小四郎胤村 | ||
歴代城主 | 荒見(荒海)氏 | ||
形式 | 丘城 | ||
訪城日 | 2010/3 | 感想 | △ |
あらみじょう |
JR成田線「久住駅」から西南西へ約1.3km。荒海川を県道161号「地蔵橋」で北へ渡り、すぐを左折します。山際沿いの道を西進すると民家脇に鳥居があり、ここから登るか(右写真)、城跡北側から適当に直登すると良いでしょう。 |
松子城主大須賀胤信の支城と思われ、胤信の三子胤村が城主で荒見(荒海)小四郎胤村と称したという。『東国戦記実録』および『東国闘戦見聞私記』にて、天正9年(1581)荒海左衛門が千葉氏の将織田左京太夫の軍勢に属して竜ノ台で栗林義長の軍勢と戦ったとある。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際、千葉氏や大須賀氏とともに荒見氏も滅んだ。 『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』千葉県教育委員会発行、『房総の古城址めぐり下巻』府馬清著 参照 |
登城口