津久井城
【感想・メモ】
城跡は整備され、とても見やすいです。山麓の根小屋地区から楽しめますが、山頂部は更に見応えたっぷり。西側から本城曲輪、太鼓曲輪、飯縄曲輪、鷹射場とあり、これらの間に堀切があり、特に本城曲輪では立派な土塁や竪堀、そして石垣も見られます。また、宝ヶ池という溜井には今も水が満ちています。思った以上に登るのですが、あちこちに解説板もあり、随分と堪能できるお城です。
【歴史】

堀切

【道案内】
城跡の地図
津久井湖南側の「合同庁舎」「相模原市役所」から国道413号を400m程東進した「日赤前」信号を過ぎ、更に150m程直進して直進方向へ進みます(国道413号は左)。1km程東進した公園根小屋地区に駐車場があります(津久井湖城山公園の南西)。

宝ヶ池

鎌倉時代に三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏一族である筑井太郎二郎義胤が築城したと伝えられる。戦国時代、小田原城を本城とした北条氏が相模・武蔵を領する戦国大名に発展し、津久井城は北条氏の拠点として家臣である内藤氏を入城させ津久井衆を組織した。津久井地域は甲斐国境に近く、領国経営上重視され、有力支城の一つとして重要な役割を果たした。現在残っている遺構は16世紀に北条氏が整備したものである。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、津久井城は徳川勢の本多忠勝、平岩親吉ら12000の軍勢に攻められ落城した。江戸時代初頭には麓に代官陣屋が築かれたが、寛文4年(1664)頃に廃棄された。
別名 筑井城
所在地 神奈川県相模原市緑区根小屋
遺構等 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 津久井湖城山公園
築城年 鎌倉初期
築城者 筑井太郎二郎義胤(筑井為行)
歴代城主 筑井(津久井)、内藤
形式 山城(比150m)
牢屋の沢から本城曲輪まで約30分
訪城日 2008/12 感想

本城曲輪

つくいじょう
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