小沢城
小沢城は、北は多摩川を眼下に望む急峻な崖という天然の要害にあり、府中方面を見渡せる北の防御線として戦略上重要な拠点であった。城主は小沢郷を領した稲毛三郎重成で、妻は源頼朝の妻政子の妹で、頼朝の信任厚かった。重成はこの城を拠点に、今の高津・中原方面まで勢力を拡大したが、建久6年(1195)妻の没後は長男小沢小太郎重政に城を譲り、自身は東南4kmの枡形山城へ移ったといわれる。城の近くに鎌倉街道が通る交通の要衝で、鎌倉〜戦国時代にかけたびたび合戦の舞台となった。鎌倉時代末の元弘3年(1333)新田義貞の軍勢と北条高時の幕府軍との分倍河原の合戦は有名である。南北朝時代の観応2年(正平6、1351)足利尊氏と弟直義の軍勢が立て籠もる小沢城を、尊氏の子義詮の命を受けた関東武士高麗経澄が攻め落とした。また、戦国時代の永正元年(1504)、扇谷上杉朝良を助けるため北条早雲の軍勢が山内上杉顕定の軍を打ち破った。更に、享禄3年(1530)小沢城近くの小沢原で北条氏綱の子氏康が初陣を飾った上杉朝興との戦いがある。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
現地説明板
【歴史】
登城口から3〜4分登ると土橋付きの堀切に出て、西へ進むと富士塚で城址碑や説明板があります。城の主要部は反対側で、堀切から東へ進むと物見台、古井戸、浅間山と続きます。浅間山が最高所ですが狭いため、実質的な主郭はその下にある堀切の先の郭でしょう。この周囲にも郭がありますが、立入禁止で確認できない所もあります。浅間山から東へ下った先にも堀切が1条あります。

物見台(小沢峰)西の堀

城址碑

【感想・メモ】

浅間山から堀切を見下ろす

登城口

TOPページへ
城跡の地図

別名
所在地 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、土橋、井戸、碑、説明板
現状 小沢城址緑地
築城年 鎌倉時代
築城者 稲毛三郎重成
歴代城主 稲毛氏、小沢氏
形式 山城(比40m)
登城口から主郭まで約6分
訪城日 2011/2 感想
京王相模原線「京王ヨミウリランド駅」から東南東へ約550m、読売ジャイアンツ球場の北東の山が城跡です。京王稲田堤駅の西方から400m程南下して右折し、左手に「菅小谷緑地」を見ながら150m程西進した突き当りを左前方へ曲がります。500m程西進した民家の間に登城口があります。周辺は道が狭く駐車できないので注意して下さい。
【道案内】
登城口の地図
おざわじょう