河村城
【感想・メモ】
JR御殿場線「山北駅」から南南西へ約600m。山北駅南西約300mの「盛翁寺」東側道路を120m程南下した終点が登城口で駐車場になっています。
【歴史】
平安末期、秀郷流藤原氏の一族・波多野遠義の二男・河村秀高が築城したと言われる。秀高の子義秀は、源頼朝の石橋山挙兵の際、平氏方に属して領地を没収されたが、建久元年(1190)鎌倉での流鏑馬の妙技により本領の河村郷に復帰できたと『吾妻鑑』にある。建武の中興・南北朝時代と河村氏は松田氏と共に南朝側の新田氏に属し、北朝側の足利軍に鎌倉が攻められると、秀国・秀経らは新田義興・脇屋義治らと共に河村城に籠城した。正平7〜8年(1352-53)、畠山国清を主将とする足利軍に敗れ、新田・脇屋らは甲州へ逃れた。その後、城は畠山国清、関東管領上杉憲実を経て、大森氏の持城となり、小田原に進出してきた北条氏に受け継がれた。戦国時代、小田原北条氏は武田氏との攻防から河村城を重視し、元亀年間(1532-55)城を補強した。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐で落城し、廃城となったと考えられる。
駐車場から遊歩道が設置されていますが勾配が急でキツイです。茶臼曲輪、小郭、本城郭と続く間の堀は畝堀で見応えたっぷり。堀の横に姫井戸もあります。本城郭はとても広く、北側に大きな城址碑や社があります。本城郭の東には立派な堀切があり、赤い橋を渡ると蔵郭で、その東の堀も大規模な畝堀です。更に東にも郭がありますが、その間の堀切は埋まっているのかよく分かりませんでした。本城郭の西側には古い時代の城跡があり、こちらにも堀切があります。全体によく整備されて見やすく、とても楽しめるお城です。
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蔵郭東の畝堀

本城郭東の堀切

本城郭から畝堀、小郭を見る


【道案内】
城跡の地図
駐車場の地図
別名 戸張城、猫山城
所在地 神奈川県南足柄市山北町山北
遺構等 曲輪、空堀、堀切、畝堀、井戸、碑、説明板
現状 河村城址歴史公園、山林
築城年 平安末期
築城者 河村秀高
歴代城主 河村、大森、北条
形式 山城(比80m)
駐車場から本城郭まで約10分
訪城日 2011/9 感想
かわむらじょう