梶原景時館


別名 梶原景時城
所在地 神奈川県寒川町一之宮8−6
遺構等 碑、説明板
現状 天満宮
築城年 正治元年(1199)
築城者 梶原景時
歴代城主 梶原景時
形式
訪城日 2011/2 感想
JR相模線「寒川駅」から南西へ約650m。一之宮小学校北東の県道44号と県道46号が交差する「一之宮小学校入口」信号の南東にある天満宮が館跡で、神社に駐車しました。
治承4年(1180)8月、源頼朝挙兵時の石橋山合戦で梶原景時は功を挙げ、頼朝の信任厚い家臣として鎌倉幕府構築に貢献した。頼朝死後、多くの家臣の反感を買い失脚、正治元年(1199)11月、鎌倉を追放され、一族郎党を率いて所領としていた一宮に館を構えたといわれる。翌正治2年正月、景時は再起を期し上洛のため館を出発したが、一行は清見関(静岡市清水区)で北条方の攻撃を受け、景時以下討死した。館の留守居役も翌年尾張へ移り、物見跡の高地に里人が天満宮を創建したといわれる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
【歴史】
【道案内】
城跡の地図
【感想・メモ】
かじわらかげときやかた
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天満宮に石碑や説明板があります。説明板を見ると堀や土塁の伝承地が書かれていますが、一箇所、残存土塁と書かれてあります。説明板がある所から北東へ約140mでしょうか。既に暗くなってきていたので、確認できなかったのが残念です。