勝倉城 |
勝倉幼稚園前の土塁
別名 | |
所在地 | ひたちなか市勝倉 |
遺構等 | 土塁 |
現状 | 勝倉小学校、勝倉幼稚園 |
築城年 | 嘉禄2(1226) |
築城者 | 平井明綱 |
歴代城主 | 平井 |
形式 | 台地城 |
訪城日 | 2008/1/26 |
かつくらじょう |
茨城交通湊線「金上駅」から南西へ約1kmにある、勝倉小学校が城跡です。 |
城跡には勝倉小学校・勝倉幼稚園が建っています。いつもの城跡めぐりのように散策していると不審者に間違えられそうなので、ササッと見ただけですが、幼稚園の北側に土塁が少し残っていました。 |
嘉禄2年(1226)、平井越前守明綱が築城した。その後、水戸城主・大掾吉田一族の俊幹が勝倉台館に土着し、その子孫が南北朝期に勝倉城を改修して居住した。江戸氏が水戸城主となると勝倉城主は飯島七郎に替わった。天正18年(1590)12月、佐竹義重・義宣父子による水戸城攻略の際、義重軍が勝倉に迫ったので江戸氏の臣谷田部通直らが佐竹勢を支えるため勝倉台で激戦したが全滅し、勝倉城主・飯島縫殿も討死して落城した。 |