石神城 |
城跡は公園整備されているためかなり見やすいです。しかも、公園の外から見た雰囲気が既にめちゃくちゃカッコいい!三郭は100x120m程もあり、北西にお城の説明板があります。その北東にある二郭も広く御城(実城)とも呼ばれることからお城の中心的存在だったようです。二郭の東に主郭(遠見城)があり、20x90mと他の郭より狭いものの高い土塁を持っています。各郭の周囲には立派な空堀が巡り、とても見応えがあります。 |
別名 | |
所在地 | 東海村石神字内宿 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、説明板 |
現状 | 石神城址公園 |
築城年 | 延徳2(1490) |
築城者 | 小野崎通老 |
歴代城主 | 小野崎 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2008/1/26 |
いしがみじょう |
石神小学校北側の通りを南東へ進みます。300m程進んで右手に「願船寺」を過ぎ、300m程南下して左折します。200m程東進して右カーブし、100m程南下した正面が城跡で、駐車場があります。 |
石神城は中世においては佐都西郡石神郷に位置し、東には蛇行していた久慈川が流れ、南北を深い谷地に挟まれた要害の地に造られていた。永享4年(1432)石神城合戦の際、小野崎越前三郎が城方を攻めて鎌倉公方の足利持氏より感状を与えられた。文正2年(1467)頃、小野崎越前守が城主だったが、天文4年(1535)には石神小野崎道長による「石神兵乱」が起こり、佐竹義篤は同族の額田小野崎篤道に鎮めさせた。しかし、天文16年には両者は所領の境を巡って再び争い、城は落ち、道長は城を退去した。その後、石神外宿の石神城鎮守住吉神社を再建し、戦死した一族の菩提のため願泉寺など三か寺を建立した。慶長7年(1602)佐竹氏が秋田に移封されると石神小野崎通広も秋田に行き、石神城は廃城となった。(現地説明板より) |
現地説明板より