城跡の地図
【歴史】
多胡館
【感想・メモ】
館跡の案内表示や説明板があるので、整備されているのを期待したら、かなりな部分が竹林でした。土塁や横堀の痕跡を垣間見ることができますが、竹林の中はほとんど遺構の確認をしませんでした。
別名
所在地 群馬県高崎市吉井町多胡31
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 平安末期(1160頃)
築城者 源義賢
歴代城主 源義賢
形式
訪城日 2008/10
【道案内】

たごやかた
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上信越自動車道「吉井インター」を下りてすぐを左折し、300m程西進して右手に「中央中学校」が見えてきたら左折します。150m程南下して右折し、60m程進んだ左側(南)が館跡となりますが、案内表示が出ているのでそれに従います。周辺は道が狭いので、車は少し離れた所に停め歩いたほうが良いでしょう。
一辺約110mの正方形に近い館跡である。木曽義仲の父義賢は一時この多胡館に住み、義仲挙兵後、、「上野国の多胡荘は亡父の遺跡」として、この地を訪れている。義仲の父は、源氏の棟梁源為義の次男・義賢で、義賢は近衛天皇が皇太子だった頃(1139-41)、警護役である帯刀の長官だったという。その後、多胡館に住んだらしい。義賢は久寿2年(1155)武蔵国大蔵館で甥に殺されているので、それ以前に多胡館から大蔵館に移ったと考えられる。そのため義賢が多胡館にいたのは1140年代から50年代にかけてということになる。(現地説明板参照)