大舘氏館 |
東武伊勢崎線「木崎駅」から西南へ約2km。国道17号「阿久津」信号を西へと県道298号に入り、1km程西進して右折します(東楊寺の80m程東)。150m程北上すると左手に館の案内があり(電柱等の物陰で見難いです)、この100m程左手(西)が館跡です。 |
元徳年間(1330)頃大舘氏が構えた。「おおたち」の地名は仁安3年(1168)新田義重置文に、義重がその子、らいおうごぜん(徳川義季)とその母に、所領を譲り渡すと約束した文書が所見である。それによると、おおたちは空閑の郷(新しく開墾された土地)で、他の十八郷と共にらいおうごぜんやその母に譲渡される予定であったが、その後の事情で新田宗家に伝えられることになったと思われる。義重四世の孫、家氏がここに住み大舘氏の祖となった。家氏の子宗氏、その子幸氏、氏明は新田義貞に従い活躍した。太平記によると、生品明神での挙兵にあたり義貞に従軍した一族の筆頭は大舘宗氏父子で、宗氏は鎌倉攻略に極楽寺坂切通しの大将として向かい奮戦、突破口を開いたが壮烈な戦死を遂げた。その後、各地に転戦した大館一族の中で氏明は吉野に御所を定めた後醍醐天皇により伊予国守護を任じられ、脇屋義助と共に四国全土を南朝の手に統一する働きを見せたが、義助は病没、氏明も世田城に戦死を遂げた。(現地説明板参照) |
館跡は畑になったため破壊されています。郭内となる場所に諏訪神社があり、そこに碑と説明板があります。 |
別名 | |
所在地 | 太田市(尾島町)大舘町 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 畑 |
築城年 | 元徳年間(1330)頃 |
築城者 | 大舘氏 |
歴代城主 | 大舘 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2009/4 |
おおだちしやかた |