女淵城 |
戦国時代、赤城山南麓にあった城の一つで、要害に広く水濠を用いた平城である。築城年、築城者は不明だが、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの侵略を受け、城主の変遷が多かった。城跡は東西200m、南北450mの規模で、主要部は南北320m、最大幅90mの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸(御霊曲輪)、竜光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。本丸は東西40m、南北30mあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二ノ丸とは土橋で通じ、西曲輪は本丸の西側の広い水濠を隔ててあり、堀をめぐらしており、その先に外濠があった。城の東側は河川が自然の水濠となっていた。天正18年(1590)小田原の北条方の城だったので豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく落城し廃城となった。(現地説明板参照) |
水濠跡はコンクリートで護岸工事され、整備された公園という雰囲気で、城跡らしさを感じられないところが多いのですが、縄張りは往時の様子を良くとどめているかと思います。 |
別名 | |
所在地 | 前橋市粕川町女渕1221 |
遺構等 | 曲輪、土塁、水堀、碑、説明板 |
現状 | おなぶち公園 |
築城年 | 天文年間(1532-55)? |
築城者 | |
歴代城主 | 上杉、武田、北条 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/10 |
おなぶちじょう |
上毛鉄道「新屋駅」から東へ約400mの「おなぶち公園」が城跡です。公園に無料駐車場が完備されています。 |