平安時代末期、後三年の役の内乱を鎮定した八幡太郎義家は、その後東国に強力な武士団を結成し、源氏は東国に基盤を築いた。義家の子義国は関東に下り、その長子義重が新田の庄を開き、新田氏の祖となった。鎌倉時代、世良田は新田庄の経済的・文化的中心地となり、建久4年(1193)源頼朝が那須野・三原の狩の帰途遊覧した新田館はここであると思われる。(現地説明板参照) |
新田館 |
お寺の山門脇に説明板があり、山門に向かって右端と寺内に石碑があります。近くの公園に「物見の松とあかがね街道」と書かれた説明板があり、それによると、元弘の頃、新田義貞が鎌倉攻めにあたり松に登って国境の敵情を伺ったとの話が残されているそうで、その松は枯れてしまったものの背後に松が植えられています。 |
別名 | |
所在地 | 太田市(尾島町)世良田町3201-6 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 総持寺 |
築城年 | |
築城者 | 新田氏 |
歴代城主 | 新田 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2009/4 |
にったやかた |
東武伊勢崎線「世良田駅」から南西へ約1.1km。国道354号と県道69号が交差する「世良田」信号から600m程西進した左手にある総持寺が館跡です。 |