松井田城

北東尾根の堀切


【道案内】
登城口の地図
JR信越本線「西松井田駅」から北北東へ約900m。西松井田駅から500m程北上した「駅前」信号を右折し県道33号に入ります。800m程東進し、左手に「松井田郵便局」を過ぎて最初の路地を左折します。200m程北上して東方に「松井田小学校」を過ぎた付近で道なりに左折し、100m程西進した突き当りを右折し、国道18号をくぐります。800m程北上して左折し(角に松井田城の説明板有)、300m程進んだ突き当りが登城口です。

西側の連続空堀

城跡の地図
【感想・メモ】
安中郭

本丸

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水の手

城跡の北東尾根から入ると、すぐに堀切が連続で見られます。大手門跡を過ぎて大堀切の西が二の丸方面、東が本丸となります。西に進むと本丸と二の丸の出入口手前に設けられた馬出と看板があったけど、こういうのを馬出っていうのか?イマイチ良く分からず。馬出の西が二の丸でその西に連続空堀が見られます。ちょっと埋まっちゃったり、藪で見難い所もあるけれど圧巻です。本丸には社が鎮座し、更に南東の櫓台や堀切の先には安中郭があります。この東側の横堀や竪堀が素晴らしく、安中郭の南東にある郭の東に巡っている堀がまた折れていて見応えあります。時間の都合で二の丸の北と本丸の北の尾根は見られなかったけど大満足のお城でした。
【歴史】
永禄初年(1560)頃、武田信玄の上野国侵攻に備えて安中忠政が安中城を築城して嫡子忠成を入れ、忠政自身は松井田城を改修して居城とした。永禄4年、信玄は安中・松井田の中間に位置する八幡平陣城を築き、同7年、安中・松井田両城は落城した。天正10年(1582)3月、武田氏滅亡後は北条氏が一時松井田城を占領したが、すぐに織田勢が碓氷峠を越えて上野に侵出し、信長の部将・滝川一益が厩橋城を拠点に上野を支配した。しかし、本能寺の変で信長が横死すると、一益は本領の伊勢へ敗走し、松井田城には北条軍が占拠した。上野を支配した北条氏は碓氷峠を押える要衝の松井田城に大道寺政繁を置き、城を大改修拡張をして現在見られるような姿となった。天正17年11月、豊臣秀吉の小田原征伐の際、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らに攻められ松井田城は落城、廃城となった。
別名 小屋城、霞ヶ城、堅田城、諏訪城
所在地 松井田町高梨子
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、竪堀、説明板
現状 山林
築城年 永禄初年(1560)頃
築城者 安中忠政
歴代城主 安中
形式 山城(比130m 、登城口から比80m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2008/3/29
まついだじょう