城跡の地図
JR「桐生駅」から北北東へ約4km。桐生女子高から県道66号で1.5km程北上して左折すると城山林道に入ります(「桐生檜杓山城入口」案内板あり)。そのまま林道を進むと左手に駐車場があり、そこから歩いて登りますが、途中にある分岐は左手へ進みます。

北曲輪の堀切

登城道は整備されていて歩きやすいです。三の丸、二の丸の前には表示板が、本丸には城址碑があり、曲輪と曲輪の間には堀切があります。また、三の丸から二の丸へ差し掛かる手前の左手に「保安林リフレッシュ事業」の看板がありますが、この手前の道へ入って行くと北曲輪があります。こちらの堀切もしっかりしており、ちょっとした石積みもありました。
南北朝初期、桐生国綱が3年の歳月をかけて築城した。東に桐生川、南に渡良瀬川が流れ、西南の丸山と東南の浅間山に砦を構え、その間に新川を掘って要害堀とし、東西の山地には物見山その他の小さな砦を備えて万全の構えを示し、桐生実城と称された。城主桐生氏は助綱の頃まで繁栄したが、天正元年(1573)助綱の子親綱の時に築城以来約220年で金山城主由良成繁に滅ぼされた。由良氏は二代国繁の時に小田原の北条氏に味方して豊臣氏に敗れ、わずか18年で常陸国牛久に移され、桐生城は廃城となった。(現地石碑参照)
桐生城

石積み

本丸

【感想・メモ】

別名 柄杓山城
所在地 群馬県桐生市梅田町1丁目1282
遺構等 曲輪、堀切、石積み、碑
現状 山林
築城年 南北朝初期
築城者 桐生国綱
歴代城主 桐生、由良
形式 山城(比120m)
駐車場から本丸まで約20分
訪城日 2008/10
【道案内】

きりゅうじょう
【歴史】
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