木部城
【道案内】
城跡の地図
上信電鉄上信線「山名駅」から北東へ約1.5km。山名駅東方の県道30号を300m程南下して左折して県道173号に入り、1km程北上して小川を渡った最初の路地を右折します。400m程東進すると左手に「心洞寺」があり、この寺一帯が城跡です。


【感想・メモ】
お寺の正面に「木部城主之廟所」と書かれた石碑があり、この右手前方は堀跡です。お寺には土塁が残っており、西端にお墓があります。
永禄年間(1558-70)、木部範虎が築城した。木部氏は源範頼の孫・吉見次郎義世の子孫で、三河守氏範の時、石見国木部から上野国三戸野郡に移住した。氏範から6代目・範虎は箕輪城主・長野業政の娘婿で、長野氏と共に武田信玄の上野侵攻に抗したが、永禄4年(1561)業政は死去し、同9年、箕輪城は落城、氏範は武田軍に降った。その後、氏範は武田氏に属したが、天正10年(1582)武田勝頼に従い天目山で死した。武田氏滅亡後、跡を継いだ木部高成は信長の部将・滝川一益に従ったが、同年本能寺の変後は北条氏政に従った。天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐で北条北条氏政・氏直父子は高野山に流され、高成も追随し、木部氏は高成の弟・直高が継いだ。家康の関東入封後は、徳川氏の幕臣となった。
【歴史】
別名
所在地 高崎市木部町字丸の内
遺構等 土塁
現状 心洞寺
築城年 永禄年間(1558-70)
築城者 木部範虎
歴代城主 木部
形式 平城
訪城日 2008/3/29
きべじょう
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