岩松館 |
新田、足利両氏の祖・源義国はこの岩松の地に居住した。その子新田義重もここに居住し、正木文書によれば建保3年(1215)、鎌倉幕府は新田義重の嫡男義兼の譲状に基づき、その妻である義兼後家(新田尼)を岩松、下今居、田中郷の地頭職に任じ、その後貞応3年(1224)、新田尼をその孫時兼にやしき岩松郷を譲渡し、2年後の嘉禄2年(1226)鎌倉幕府は時兼を岩松郷の地頭職に任じたとある。時兼以後、岩松氏が代々居住したと思われる。(現地説明板参照) 岩松直国の孫満純は新田義貞の子義宗の次男と言われ、上杉禅秀の聟となった。禅秀の乱では禅秀に味方し、応永24年(1417)禅秀らが滅亡した後、残党を集めてこの館に兵を挙げたが捕らえられ斬られた。満純の従弟満春の子持国は、康生元年(1455)から開始された古河公方成氏と上杉氏との戦いに成氏方として戦った。長禄3年(1459)持国が岩松家純の勧めで上杉に味方し、上杉方が成氏を破ったが、寛正2年(1461)、持国。成兼父子はまた成氏に応じている。家純は満純の子でこの家を礼部家と呼び、持国の家を京兆家という。(『日本城郭体系』参照) |
国道354号「岩松」信号から東進して2本目の路地を左折します。200m程北上した正面にある「青蓮寺」が館跡です。 |
青蓮寺に館跡の説明板があります。また、ここから東へ200m弱にある義国神社に新田・足利両氏の祖である源義国のお墓が、更に150m程東へ行った「尚純萩公園」には新田金山城主第3代の岩松尚純公とその夫人のお墓があります。 |
別名 | |
所在地 | 太田市(尾島町)岩松町 |
遺構等 | 説明板 |
現状 | 青蓮寺 |
築城年 | 明徳年間(1390)頃 |
築城者 | 岩松氏 |
歴代城主 | 岩松 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2009/4 |
いわまつやかた |