城跡の地図
毒島城は多田山丘陵東側に位置し、周囲は水田に囲まれ、平面形は東西約150mの楕円形を呈している。中心の本郭とそれを囲む腰曲輪からなり、虎口は西南中央1箇所のみで攻撃性は低く、出城としての機能を有していたと思われる。永禄年間(1558-70)、城主毒島勘解由長綱は桐生氏に属し、後に桐生広沢の「広沢の寄居」に移った。毒島城の伝説として、三浦河内守謙庭が毒島城を攻めた際、この沼には大蛇が住んでおり、なかなか攻められずにいた。そこで謙庭は7つの石臼で毒を作り沼に投げ入れたため、大蛇はいたたまれずにしに脱出し、城はたちまち落ちたという。(現地説明板、『群馬の古城』(山崎一著)参照)
毒島城
国道50号「今井」信号を北へと県道102号へ入り、500m程北上した「一丁畑」信号を左折し県道76号に入ります。300m程西進した3本目の路地を右折し、800m程北上して左折すると右手に城址碑と説明板が見えてきます。この丘の上が城跡で、付近の余白に駐車可能です。

「毒島」と書いて「ぶすじま」と読むのにびっくり。かなりインパクトのある名前です。昔は東西500m、南北400mの沼の中に孤立した島だったようです。現在、丘の上へ行くと、見事なまでの畑になっていました。
【感想・メモ】
別名
所在地 伊勢崎市赤堀今井町毒島815
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状
築城年
築城者
歴代城主 毒島
形式 丘城
訪城日 2008/10
【道案内】

【歴史】
ぶすじまじょう
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