城跡の地図
観応・正平頃(1350頃)、赤堀直秀が築城した。赤堀氏は藤原秀郷の末裔とされ、足利泰綱四世の孫教綱を祖とする善氏が那波氏の圧迫により衰えたが、観応2年(正平6、1351)直秀の時、尊氏と弟直義との争いで尊氏方として奮戦し、旧領を取り戻した。赤堀下野守親綱の時に由良氏の幕下となり、その子影秀まで赤堀城に在城したが、天正18年(1582)後北条氏滅亡と共に赤堀城も廃城となった。(現地説明板、『日本城郭体系』参照)
赤堀城
【感想・メモ】
赤堀小学校南西の「西久保」信号を北西へと県道76号へ入り、300m程西進して鏑木川を渡り、更に100m程西進した細い路地へ右折します。120m程北上した突き当りが城跡で、突き当たり付近に駐車可能です。

本丸北側の土塁

本丸の土塁と堀がかなり残っていて、高い土塁と幅のある堀で見応えがあります。城址公園とする予定なのか、整備中といった雰囲気でした。

本丸北側の横堀

縄張図(現地説明板)


別名 今井城
所在地 伊勢崎市赤堀今井町城
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 畑、城址公園
築城年 観応正平頃(1350頃)
築城者 赤堀直秀
歴代城主 赤堀
形式 平城
訪城日 2009/4
【道案内】

あかほりじょう
【歴史】
TOPページへ