南北朝時代、湯川氏がこの地に築城した。秀吉が紀州を統一した後、弟・秀長の領地となり、秀長の臣・杉若越後守が泊城に入り、田辺地方を統治した。天正18年(1590)、杉若越後守は泊城を廃して上野山へ城を移した。その際、城を大改修した。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い後、浅野幸長が紀伊に入国し、上野山には浅野左衛門氏定が入った。氏定は港に近い会津川口へ城を築いて移った。 |
上野山城 |
八立稲神社 |
別名 | 八王子城 | ||
所在地 | 和歌山県田辺市元町 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 八立稲神社 | ||
築城年 | 南北朝時代 | ||
築城者 | 湯川氏 | ||
歴代城主 | 湯川 | ||
形式 | 丘城 | ||
訪城日 | 2005/3/20 | 感想 | − |
国道42号「元町」信号を南東へと県道210号に入り、800m程東進した信号を左折し、左手に「田辺第三小学校」を過ぎ70m程北上した路地を右折すると正面に「八立稲神社」があります。「上野山幼稚園」のすぐ北側です。ここが城跡です。 |
うえのやまじょう |
標柱 |
神社に立ってみると、かなり高台にあることが分かります。また、最後、神社へと右手に曲がる所に、「上野城跡」という白い標柱が建ち、その手前(南)50m程のところに説明板と木が朽ちた碑があります。 |
碑と説明板 |