新宮十郎屋敷 |
別名 | 十郎屋敷 | ||
所在地 | 和歌山県新宮市熊野地 | ||
遺構等 | 説明板 | ||
現状 | 宅地 | ||
築城年 | 保元・平治(1156-60)頃? | ||
築城者 | 新宮十郎行家 | ||
歴代城主 | 新宮十郎行家 | ||
形式 | 屋敷 | ||
訪城日 | 2011/12 | 感想 | − |
私は見つけられなかったのですが、駐車場の前に説明板があるようです。写真の川の奥の方が屋敷跡のようで、100m四方の規模だったようです。 |
しんぐうじゅうろうやしき |
JR紀勢本線「新宮駅」の東約600m。 |
新宮十郎行家は別名源義盛といい、源為義の十男で為義と新宮の神官鈴木重忠の娘(熊野別当の娘との説も有)との間に生まれたといわれている。保元・平治の乱で兄弟を早く失ったが、兄義朝の子・源頼朝や義経、義賢の子木曽義仲の叔父にあたる。行家は新宮に居住し、平家追討の令旨を諸国の源氏に伝え、峰起を促した。平家滅亡後は頼朝と対立する義経と行動を共にしていたため、文治2年(1186)5月、和泉国(今の大阪府)で捕えられ最後をとげた。 参考資料 『和歌山県中世城館跡詳細分布調査報告書』 和歌山県教育委員会発行 |