勝山城

主郭北西隅の井戸
別名 廊ノ坊屋敷
所在地 和歌山県那智勝浦町浜ノ宮
遺構等 曲輪、土塁、空堀、井戸
現状 山林
築城年 嘉吉年間(1441-44)
築城者 廊之坊重盛
歴代城主 廊之坊
形式 丘城(比40m)
補陀洛山寺から主郭まで約10分
訪城日 2008/3/2 感想
お寺の南から西へ回り込んで平惟盛供養塔を目指しますが、途中竪堀のような雰囲気のものがあります(お寺から供養塔まで約5分)。供養塔から更に道を進み、途中から左手へ登って鉄塔に出ます。鉄塔の先に林道があるのですが、この林道のすぐ上の山が城跡です。林道を北へ50m程歩くと左手に堀切があり、ここから城跡に入れます。この堀切の南が主郭で土塁が巡っているのですが、かなりな藪で見通しがききません。主郭の北西隅に石組みの井戸があります。主郭の北が二郭で、主郭の南にも郭がありますが、更にひどい藪で歩くことができませんでした。
【感想・メモ】


【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
JR「那智駅」から北西へ約400m。国道42号「那智駅前」信号を西へと県道43号に入り、100m程西進すると右手に「補陀洛山寺」があります。この寺の裏山(北西)が城跡です。お寺の東側にある駐車場を利用しました。
嘉吉年間(1441-44)、廊之坊重盛が築城したと言われる。廊之坊重盛は鈴木廊重盛または潮崎重盛とも言い、後に那智山に上って龍寿院を建て、当時の那智山、東西両座の一方の支配者実法院と勢力争いをした。当初、廊之坊の屋敷として築かれたが、徐々に城塞化し、元亀初め頃に一城郭となり、重盛は那智の僧将として勢力を持った。天正6年(1578)熊野一帯を手中に収めようとした堀内安房守氏善は長島城の加藤甚五郎を攻め破り、堀内氏の本城である堀内新宮城から勝山城を攻撃したが落とせなかった。しかし、翌天正7年、再度勝山城を攻撃し落城した。
かつやまじょう
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