岩室城
別名 岩村城
所在地 和歌山県有田市宮原町東
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 平安末期
築城者 湯浅宗重
歴代城主 湯浅、畠山
形式 山城(比250m)
駐車場から主郭まで約5分
訪城日 2008/2/29 感想
平安末期、平重盛の末子丹後侍従平忠房が文治元年(1185)屋島の戦に敗れて湯浅の荘の地頭湯浅宗重のもとに身を隠していたが、各地から平家の残党が集まった。これを聞いた源頼朝が阿波成長に命じて攻めさせたが、湯浅氏はこの城に五百余人で立て籠もり烈しい戦を三ヶ月も続けた。その後、畠山氏の守護下となり、当初の岩村城は「岩室城」に改められ、室町期の応永7年(1400)畠山基国が紀伊の守護となり、弟満国が有田に入国し、名島城・鳥屋城・岩室城を修築し、宮原に居館を構えた。この畠山の政治も室町幕府の崩壊と共に畠山定政が根来・雑賀の残党に推され秀吉に叛き天正13年(1585)3月、秀吉の南征にあい壊滅したものであって、城跡は紀伊最古の一つである。(現地説明板より)
【歴史】
登城道は整備され、駐車場から5分も歩けば主郭で、眺望が良いです。古いお城なため、縄張は単純で城域も広くないので、あっという間に見終われます。西側の畑の手前に堀切があります。
【感想・メモ】

【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
紀伊宮原駅から100m南方の国道480号を1km程東進して左前方の道へ入ります。すぐにJRを過ぎ、300m程東進して左折します(ここからお城の案内有)。200m程進んで左手に「福勝寺」を過ぎ、250m程北上して右折、更に畑の中の山道を1km程案内に従って進みます。すると、広い場所に出て左手にお城の説明板があります。ここが駐車場で、説明板の正面の山が城跡です。

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