淀山城
別名 波々伯部城
所在地 兵庫県篠山市辻
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸、説明板
現状 山林
築城年 弘治年間(1555-58)頃?
築城者 波々伯部氏
歴代城主 波々伯部氏
形式 平山城(比40m、標302m)
訪城日 2011/5 感想
波々伯部(ほほかべ)氏が居城した。源義家の末裔で義房の子房光が篠山に逃れて来て、その後次郎左衛門為光が足利尊氏に仕え、軍功により建武4年(1337)伯耆国稲光保の地頭職を与えられた。以後、代々足利氏に仕え、明徳の乱では光豊、光基等が功を立て、一族の光尚は「南山城」、基継は「垣屋城」、光久は「東山城」を築城し、一族は繁栄して郡内屈指の土豪に成長した。これらの宗家の根拠が淀山城で、丹波守護の山名氏や細川氏の被官となり、八上城の波多野氏が強大化すると重臣となって光忠、光吉が活躍したが、明智光秀の攻撃により落城前に抜け出し、後にこの地に帰農して酒屋を開業した。

参考資料
『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』兵庫県教育委員会発行
『ひょうごの城紀行下』(朽木史郎・橘川真一編著)神戸新聞総合出版センター発行
現地説明板
【歴史】
【感想・メモ】
八上城から東北東へ約5km、波々伯部神社から東へ約900m。国道173号と国道372号が交差する「小野新」信号から国道372号で2km程西進すると右手に池があり、この手前を右折します(案内板有)。城は池の西側の小山で、そのまま池の西北へ回りこむと説明板があります。登城口にも駐車可能ですが、道が狭く怖かったので手前の余白に駐車しました。
主郭
主郭と二郭の間の堀切
城跡の地図
登城口の地図
【道案内】

よどやまじょう
登城口から南へ進むとすぐ右手に井戸郭があり水が溜まっている所がありました。更に南へ進むと立派な竪堀(何故か堀切と表示)が見え、その先にまた井戸郭があります。ここから斜面を登り、まずは主郭へ。主郭には説明板があり、眺望も良く、南側に郭が続いていました。主郭東には腰郭があり、主郭背後には堀切があります。この北が二郭で、二郭から見る主郭切岸がかなり高さがあり素晴らしいです。二郭は南北に長く、その背後の大堀切も見事です。この大堀切は西側で横堀から竪堀へと屈曲しており、ここも見所です。また、大堀切の東へ進むと、横に竪堀があり、そのまま南へ進むと窪地があったり、横堀があってそこから竪堀が落ちていたりと東斜面も面白いです。全体にとてもよく整備されていて見やすく、技巧的な縄張と、しっかりした遺構でとても楽しめるお城です。
TOPページへ
主郭東方下の竪堀