籾井城
別名 安田城、福住城
所在地 兵庫県篠山市福住
遺構等 曲輪、土塁、堀切、土橋、碑
現状 籾井城跡公園
築城年 永正年間(1504-21)
築城者 籾井氏
歴代城主 籾井
形式 山城(比150m)
登城口から主郭まで約17分
訪城日 2008/4/26 感想
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
国道173号「安田西」信号を東へと国道372号に入り、700m程東進して左折し籾井川を渡ると、正面に「禅昌禅寺」があります。このお寺に向かって左手に登城口があり、城址碑や「籾井城跡公園」の案内表示があります。お寺に参拝者用駐車場があります。
2〜3分登ると東屋があり、更に10分程で堀切があり、そこから段郭や帯郭を見ながら5分程で主郭に着きます。主郭は東西20m、南北30m程もあり、一段高い所に「籾城公園」の大きな石碑が立っています。主郭北側に段郭が3つ続き、一番北の郭には土塁が北側にあり、その先に堀切があります。主郭南西にも堀切があり、その先に郭があります。また、登ってくる時は見逃したのですが、南側の堀切から80m程下ると道がやや左手に折れますが、この正面に神社があります。ここは出曲輪だったようです。縄張は単純ですが、道が整備され見やすくて楽しめます。また、禅昌禅寺には庄屋だった白井半左衛門の供養塔があります。
【感想・メモ】

城跡北端の堀切


主郭

もみいじょう
TOPページへ
【歴史】
永正年間(1504-21)、籾井氏が築城したと言われる。天正年間(1573-92)初期、八田城主・籾井越中守教業が居城した。教業は黒井城の「赤鬼」(赤井悪右衛門直正)と並んで波多野氏の「青鬼」として恐れられ、明智光秀の丹波平定に抗戦した。しかし、天正5年11月頃、本明谷川付近での激戦で敗れて自害し、落城した。

主郭西方の堀切

出曲輪