朝倉城
別名
所在地 兵庫県養父市八鹿町朝倉
遺構等 曲輪、石積み、土塁、堀切、櫓台、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代
築城者 朝倉八郎信高
歴代城主 朝倉氏
形式 山城(比100m)、標150m
登城口から主郭まで約12分
訪城日 2010/11 感想
城跡の地図
国道9号「朝倉西」信号を南へと県道271号に入り、200m先で左手の橋を渡り、200m程道なりに進んで右折すると、右手に宝篋印塔、左手に地蔵堂があります。この地蔵堂の横が登城口で標柱や説明板があり、地蔵堂に駐車可能です。周辺は道が狭いので注意してください。
登城口の地図
登城道は整備され、登城口から12分程で主郭に着きます。城の北東側から登るのですが、途中、道が二手に分かれる所を右手へ進むと尾根筋を登り続け、堀切を通ります。ちなみに、左手へ進むと城の南側に回って登ります。主郭は中央部が一段高い櫓台になっており、北西側に段郭や堀切があります。眺望がとても良く、草刈もされていて気持ち良いです。主郭周辺に石積みが少し見られますが、北側へ少し下りた付近が特によく見えます。
【感想・メモ】

石積み


主郭

【道案内】
あさくらじょう
【歴史】
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登城口

この地は福井市の一乗谷で栄えた大名、朝倉氏の発祥の地で、朝倉氏は孝徳天皇の皇子、表米親王を始まりとする。平安時代末期に地名を苗字として朝倉氏が興り、朝倉高清を初代とした。その中から八木氏、宿南氏、奈佐氏などの多くの武将を輩出した。城は集落の南西の丘陵に鎌倉時代、高清の子・信高が築城したと思われ、東西130m、南北110mの規模をもつ。戦国期に改修して守りを固めている。

現地説明板参照