この地は、観応2年(1351)足利尊氏と弟直義が戦った小清水の陣所跡で、永正13年(1516)瓦林正頼がここに越水城を築城した。現在の城山・桜谷・満池谷・清水の4町にまたがり、南北約200m・東西約100mの規模であったといわれる。ここは西国街道の要衝で、城にかかせぬ水にも恵まれた築城の適地だった。城には天守もあり外城を備え、人々を住まわせた西宮には城下町のような雰囲気があったという一説もある。戦国時代初期、城主正頼は細川氏の内紛の際、高国方につき、四国から京にのぼる澄元を迎えうって敗れ、その上澄元に内通したとして切腹、死後澄元の家臣三好氏が入城した。天文2年(1533)瓦林と一向一揆が三好を攻めて城を奪い返し、瓦林の一族が城を守ったが、更に攻防は繰り返され、ついに畿内の覇者三好長慶の居城となり、家臣松永久秀を京に止めて越水城で指揮をとった。永禄9年(1566)時の城主四国阿波の篠原長房は瓦林三河守に攻められ一旦開城したが、4日後に復活、9月には足利義親(のちの足利幕府14代将軍義栄)が入城したが、永禄11年の織田信長入洛により、越水城の戦略的価値は消えた。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』兵庫県教育委員会発行
『ひょうごの城紀行 下』(朽木史郎・橘川真一 編著)神戸新聞総合出版センター発行
現地説明板 |