城跡の地図
交野城
別名 私部城
所在地 交野市私部6丁目
遺構等 曲輪、土塁、空掘、井戸、碑
現状 畑、宅地
築城年 文和元(正平7、1351)
築城者 安見清儀
歴代城主 安見
形式 平城
訪城日 2007/2/8
【道案内】


【感想・メモ】
かたのじょう
【歴史】
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京阪交野線「交野市駅」から北東へ約500m。交野市駅から350m程東進して、交野市役所の手前を左折します。そこから200m程北上すると左手に郵便局がありますが、この東側が城跡です。
城跡は空堀を畑に利用したり、郭跡が駐車場になったりしていますが、全体的に地形がよく分かります。郵便局のすぐ東側の郭が二の郭で空堀を隔てて主郭があり、更に堀の向こうに三の郭があります。その東側にも郭があり、郵便局南側から東へ歩いていくと、道路南側にも土塁や堀跡、郭跡が分かります。また郵便局の脇にも土塁が少し残っていました。郵便局南側の通りを100m程東へ行った道路沿い北側に城址碑もあります。
文和元年(正平7、1351)、南朝方だった安見清儀が築城した。安見氏はその後北朝方となり、正平年間(1346-70)末、河内守護となった畠山義深から代々畠山氏の重臣となり、遊佐・木沢両氏とならんで河内守護代となったこともあった。戦国時代、清儀から9代後の安見直政は、畠山氏に替わって河内守護と称したが、三好長慶に攻められ一時大和へ逃れた。永禄12年(1569)、織田信長の河内統一後、安見直政は所領を回復し交野城に居城した。安見直政が病没後、大和筒井氏に交野城は攻められ落城し、天正3年(1575)織田信長の命により廃城となった。