城跡の地図
飯盛山城
別名 飯盛城
所在地 四條畷市南野
遺構等 曲輪、土塁、堀切、井戸、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 建武年間(1334-38)
築城者 佐々目憲法
歴代城主 佐々目、木沢長政、安見直政、三好
形式 山城(比300m)
訪城日 2007/2/12
【道案内】

【感想・メモ】
いいもりやまじょう
【歴史】
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阪奈道路(8号)西方にある「称迎寺」から500m程北上した路地を左折します(楠公寺の案内あり)。400m程行って突き当たったら左折し、更に道なりに進み「大阪産業大グランド」の北側を通り、更に500m程行って左手方面に「市立青少年野外活動センター」も過ぎます。そこから800m程山道を行くと「楠公寺」があります。このお寺に車を停め、ここから飯盛山を登ると城跡です。
楠公寺から登ると直接本丸へ行きますが、来た道を少し南へ戻った所から登るとNHK放送電波塔がある千畳敷に着きます。そこから北へ進むと本丸で、本丸には大きな楠木正行像があり、眺望が素晴らしい!更に谷を隔てて北へ行くと御体塚があり、本丸から御体塚の間で石垣、堀切、土橋などが見られます。ちなみに楠公寺付近は馬場だったようです。楠公寺まで車で来るとラクラク山城ですが、下からハイキングコースがあるようです。
建武年間(1334-38)、佐々目憲法が築城した。その後城主が入れ替わり、戦国時代には三好長慶が入城した。長慶は城を大改修し、ここ飯盛山城を本拠として、山城、摂津、河内、大和、和泉、丹波、阿波、淡路、讃岐の9ヵ国を支配した。しかし、晩年は家臣の松永久秀に実権を奪われ、永禄7年(1564)42才で飯盛山城にて病没した。その後、この城は松永久秀を攻めた信長軍により落城した。