城跡の地図
柳生城
別名
所在地 奈良市柳生町
遺構等 曲輪、堀切、碑
現状 山林、芳徳寺
築城年
築城者 柳生氏
歴代城主 柳生
形式 山城(比68m)
訪城日 2007/1/13
【道案内】


【感想・メモ】
やぎゅうじょう
【歴史】
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県道4号と国道369号が交差する「柳生」信号を南へと国道369号に入り、600m程南下して斜め左の道へ入ると「芳徳寺」へ上がる道があるので、芳徳寺に向かいます。お寺の横(南東)にある「成美学寮」へ入ったすぐ右手に登城口があります。芳徳寺へ上がる麓に市営駐車場があります。
芳徳寺の山門手前(寺の南側)に城址碑があります。登城道は整備され、山の端側の道を真っ直ぐ行くとそのまま主郭へ行けますが、私は途中、山の中の道へ行きました。すると、本丸北側の堀切が見られ、本丸南側にも水道施設の下に堀切があります。ここから西側下方には井戸もあります。本丸は木々が伐採され、視界が開けて気分がいいです。
築城年は不明だが、柳生氏が築城したといわれる。天文13年(1544)、筒井順昭に対して山中衆と共に柳生氏も抵抗したが、総勢1万の軍勢で城を攻められ落城した。その後も戦国末期まで山中四箇郷として団結し、筒井氏と古市氏との争いの影響を受けた。松永久秀の大和侵攻で筒井氏は衰退していった。柳生宗厳は柳生新陰流の祖石舟斎となり、その子五男宗矩は徳川家康に仕え剣指南役となり、のちに柳生藩を開いた。