西方院山城 |
主郭東の空堀
近鉄奈良駅から南東へ約900m。奈良ホテルの東側、荒池の南側にある瑜伽山が城跡です。瑜伽神社からは城跡へ入れないため、神社西側にある奈良ホテル駐車場の脇から城跡へ入りました。 |
別名 | |
所在地 | 奈良市高畑町 |
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、堀切 |
現状 | 山林 |
築城年 | 文安元(1444) |
築城者 | 古市氏 |
歴代城主 | 古市 |
形式 | 丘城(比16m) |
訪城日 | 2008/6 |
さいほういんざんじょう |
城跡の散策に際しては、「気分はコクジン」を参照しました。主郭の西側に土塁があり、東側には二重の空堀が南北に50mもの長さがあって見応えがあります。更に東へ進むと何か物音が。何だろう?と用心深く様子を伺ったら鹿でした。また、主郭西側の土塁を北へ進むと左手に堀切も見えてきます。こんな街中なのに、城跡へ入ると静かな山の中で、一体どこに居るんだろう?と不思議な気分になります。 |
文安元年(1444)、大乗院前門跡経覚を擁して筒井・成身院方と対峙していた古市胤仙が鬼薗山城の代わりの城として築城を開始した。ところが、計画を変更して鬼薗山城を完成させたため、西方院山城は築城途中で放置された。長禄2年(1458)鬼薗山城は廃城となっており、応仁の乱の市中戦での陣地が必要となったため、文明10年(1478)再度、西方院山城の築城を開始した。城が完成して3日後、筒井方に攻められたため、城兵が火を放ち焼失した。(『日本城郭大系10』参照) |