窪之庄城

東殿北側の空堀

別名
所在地 奈良市窪之庄町里中
遺構等 曲輪、土塁、横堀
現状 牛頭天王社、山林
築城年 室町時代
築城者 窪城氏
歴代城主 窪城
形式 平城
訪城日 2008/6

【感想・メモ】
くぼのしょうじょう
【歴史】
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JR桜井線「帯解駅」から南東へ約1km。帯解駅北側を通る県道51号を南東へ約700m程進み、国道169号を横切って県道187号に入ります。更に250m程南東へ進むと左手に「牛頭天王社」があり、ここが城跡です。

西殿入口

城跡の散策に際しては、「気分はコクジン」を参照しました。牛頭天王社がある方が東殿で、社殿背後〜東に高い土塁があり、その北側には空堀があります。この西側の空堀を隔てて西郭があり、こちらも東〜北にかけて土塁があり、北側に空堀がありますが、かなり竹薮です。ちょっと見難いのが残念ですが、立派な堀が見られて楽しめます。西殿の東側土塁を南へ歩いて行くと祠があり、そのまま外へ出ると鳥居があります。この窪之庄の集落は環濠集落のようで、集落と城館2つが一体となっているのが興味深いです。
室町時代、窪城氏が築城した。窪城氏は大乗院方衆徒で、筒井・成身院・十市・古市諸氏ら大和の有力国人と姻戚関係を結び、応仁の乱以後は古市氏の麾下として活躍し、15〜16世紀には筒井氏との対立が深まった。永正3年(1506)、東隣の高樋氏本城を攻めたが、後詰めの筒井勢に窪之庄城を焼かれ没落した。永禄11年(1568)には筒井氏の与力となっていたが、松永久秀に攻められ落城した。その後、筒井氏の反撃で窪之庄城を回復し、元亀2年(1571)筒井方の前線となったこの城に松永軍が攻め寄せたが、これを撃退し辰市城合戦の勝利の一翼を担った。(『日本城郭大系10』参照)
【道案内】
城跡の地図