貝那木山城 |
登山道を5〜6分程登ると、右手に水呑場があります。そこから更に5分程登ると、左手に「八大龍王社」があり、お墓が祭ってあって眺めがいいです。右手のコンクリート舗装の方へと少し下ると、左手に井戸があります。また井戸まで下りずに右手を見ると曲輪があり、こちらが西の丸で石垣が見られます。更に下には畝堀があるようですが、藪だらけで何も分からなかったです。本丸には奥の院が建っていますが、城址碑の向こう側は眺望が開け、とても気分がいいです。 |
井戸
本丸
名阪国道(国道25号)「針インター」から国道369号で榛原方面へ1.8km程南下して「白石」信号を過ぎ、更に250m程南下した路地(3つ目だったと思う。左手の石垣が高くしてある民家手前)を左折し、コンクリート舗装の急坂を上がります。道なりに進むと、コンクリート舗装は右手となり、直進が登山道となります。登山道手前に車1台分の駐車スペースがあるので、ここから登ります。軽四クラスの小さい車なら右手の道で本丸下の「八大龍王社」まで上がれ、ここに駐車スペースがあります。 |
西の丸の石垣
別名 | |||
所在地 | 奈良県奈良市(都祁村)都祁白石町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、石垣、畝堀、井戸、碑、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 天文年間(1532-55) | ||
築城者 | 多田延実 | ||
歴代城主 | 多田 | ||
形式 | 山城(比120m) | ||
訪城日 | 2010/2 | 感想 | ○ |
かいなぎやまじょう |
天文年間(1532-55)、多田源氏19代・多田延実が都祁地方一帯を支配するために築城した。多田氏は、鎌倉時代に大和多田庄に移り、山内衆徒の中では随一の勢力を誇っていた。室町末期から戦国初期にかけて勢力拡大をはかり、吐山城主・吐山氏を封じ、都祁郷一帯を制圧した。 |