山科寺内町 |
中央公園の一角や、住宅の合間に土居が残っています。かなり高さがある土居で、しかも宅地の合間の方は随分長く残っていたのでびっくりしました。また、西宗寺は蓮如上人往生の地と言われ、中央公園の東(山科小学校の北)には、蓮如上人の御廟所があります。 |
西宗寺東方の土塁
別名 | 山科本願寺 | ||
所在地 | 京都府京都市山科区西野山階町、左義長町 | ||
遺構等 | 土塁、説明板 | ||
現状 | 山科中央公園、宅地 | ||
築城年 | 戦国中期(1468-1532) | ||
築城者 | 一向宗徒 | ||
歴代城主 | 一向宗徒 | ||
形式 | 寺内町 | ||
訪城日 | 2011/5 | 感想 | ○ |
やましなじないちょう |
JR東海道本線「山科駅」・京阪「山科駅」から南西へ約1km、地下鉄東西線「東野駅」から西へ約700m。「山科中央公園」の東側に土居が残っています。また、公園の南辺を600m程西進すると「西宗寺」に突き当たりますが、このお寺の東方から南東にかけて広範囲で土居が残っています。 |
戦国中期(1468-1532)、山科寺内町は本願寺教団の本山として繁栄し、自治と自衛の町として形成された。山科本願寺は、文明10年(1478)蓮如が創建し、戦国後期に一向宗寺院は、平和な生活を守るために町全体に土居を巡らせた。天文元年(1532)、延暦寺宗徒や法華宗徒の攻撃を受け落城し、本願寺は大坂石山に移転した。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 現地説明板 |
山科中央公園の土塁