山家城
別名 甲ヶ峯城
所在地 京都府綾部市広瀬町
遺構等 曲輪、土塁、井戸、空堀、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 尹也神社裏山
築城年 永禄6(1563)
築城者 和久左衛門佐義国
歴代城主 和久
形式 山城(比130m)
訪城日 2006/10/8 感想
国道27号を丹波方面から綾部市街方面へ西進した場合、「上林川」を渡る600m程手前に、建物の壁に大きく「山家城500m」の表示が出ています。その表示が見えた所で右折し、すぐを左折して、右手に「郷社八幡宮」を通り過ぎ、更に西進します。すると、模擬門が正面に見えてきます。この道路向かい側(右手)に尹也神社があり、その背後の山が城跡です。車は、尹也神社付近に停められます。
登城口の地図
【道案内】


【感想・メモ】
やまがじょう
【歴史】
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麓の陣屋模擬門前に説明板と城址碑があります。神社まで登ったら右手へ行くと「←左衛門屋敷跡」の案内があり、これに向かえばいい。15分も登れば曲輪が見え、そこから少し行くとまた曲輪がある。左手に竪堀も見え、立派な切岸も見える。虎口から本丸に入ってすぐ左手にちょっとした凹みがあり、これが井戸だけど、写真だとちょっと分からないぐらいに埋まってしまっている。本丸には「左衛門屋敷跡」という表示があり、結構広い。本丸の奥には大堀切があり、下りて楽しめる。
ここは、谷出羽守衛友が天正10年秀吉より1万6千石をもって、美濃国から封ぜられた、谷藩政中心の地である。藩主谷出羽守衛友の父は、大膳亮衛好といい織田信長に仕え、天正4年の大阪本願寺攻めに軍功をあげた家紋「揚羽蝶」を賜るが、天正7年、播州三木城別所長治を攻め討死し、三木の如意山金剛寺に祀る(大膳郭に墓地)。山家初代藩主・谷出羽守衛友は、父衛好と共に三木城攻めに加わり、父討死の時、その屍を奪い返し仇を討ち取る。このときの勇戦の感状を、秀吉から家紋「五三の桐」を受け本領(山家)加増され、山家に封ぜられた。城址内の灯篭には、こうした史実を止める「揚羽蝶」と「五三の桐」の紋が残されている。(現地説明板より)