笑路城
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

登城口

東端の堀切

主郭の石垣

堀切の西側の郭は東側に土塁があり、北と南に虎口がありますが北虎口には石積みが見られます。主郭には鉄塔が建っていますが、周囲に石垣が見られ、主郭の一段北下の郭にも石積みが見られます。主郭南の腰郭には西端にしっかりと土塁があり、ここから西へ下ると堀切と竪堀がありました。全体に少し山が荒れているといった雰囲気ですが、字が消えてほとんど読めないながらも説明板もあり、遺構の確認はできます。
【感想・メモ】

バス停からの遠景

別名 松尾城、松尾山城
所在地 京都府亀岡市西別院町笑路風呂ケ谷
遺構等 曲輪、石垣、土塁、堀切、説明板
現状 山林
築城年 室町期
築城者 長沢氏
歴代城主 長沢氏
形式 山城(比100m、標414m)
登城口から東端の堀切まで約10分
訪城日 2011/5 感想
昭和池の北約800m。国道423号「犬甘野口」から南東約300mに見える山が城跡で、バス停から東の小道(ここからは徒歩が良いです)へ入り、田んぼの中を200m程歩くとフェンスに城跡の案内(右写真)があるのでそれに従い右手へ進みます。ここが登城口で10分程登ると東端の堀切となります。駐車可能な場所が周囲に無いので注意して下さい。
笑路城は摂津と都を結ぶ往還を眼下におさめた山城で、永享年間(1429-1441)、長沢正綱が築城したといわれる。その後、時代によって城は改修され、発掘調査の結果、戦国期には天守台があったことが分かっている。天正5〜7年(1577ー79)頃、城主長沢家綱は法貴坂戻り岩において明智光秀と対面し、その後光秀の和平作戦に賛同し本能寺にて軍功を立てたが、山崎にて討死した。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
【歴史】
わらうじじょう
TOPページへ