上野城
【道案内】
城跡の地図

城の北側から見える大堀切

東の郭の土塁

お城は集落の南、美女山の北西麓に延びる台地にあり、遠目ですぐに分かります。いきなり目の前に大堀切(上の写真)が見えてビックリしました。ここから城内へ入り、中央の虎口から北西の郭へ入ると北〜東〜南にL字形にしっかりした土塁があります。この北西側にも郭があるのですが、その手前に横堀があり、こちらも中央に虎口があります。こちらの郭にもL字形に分厚い土塁があります。この北西側にも郭が続いていたのでしょうか?造成されていて良く分かりません。最初に入った堀切から南東には塚か古墳跡のような高台があり、この南側も郭のように見えます。また高台の南東にも土塁を伴った郭があり、その先は民家や石塔があったりで、本来の様子は良く分かりません。城の北西・南東の両先端部は改変があって掴み辛いのですが、立派な土塁を伴った郭2つとその間の横堀、そして郭と高台との間にある大堀切の規模が大きくて見応え有ります。
【感想・メモ】

別名
所在地 京都府京丹波町上野南垣内
遺構等 曲輪、土塁、堀切、横堀、虎口
現状 山林
築城年
築城者 山崎氏
歴代城主 山崎氏、須知氏
形式 平山城
訪城日 2011/5 感想
京丹波町役場から南東へ約1.3km。京丹波町役場から国道9号で1km程南下した「須知」信号を左折して府道80号に入り、道なりに1km程進むと道が右カーブします。カーブしてから80m程東進した(右手に池を越えた)路地を右折し、約150m先で右折した正面の林が城跡です。民家の方に許可を得て駐車させて頂きました。
『丹波誌』上野の項に、「当村北ノ山ニ山崎加賀守ノ古城トテ少シノ屋敷跡アリ」とあり、その子孫として山崎勝右衛門の名も記されていることから、山崎氏が居城したと思われる。須知城の北方約2kmに位置しており、戦国期には須知城の支城の役割を果たしていたと思われる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
【歴史】
うえのじょう
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