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別名 |
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所在地 |
京都府京都市左京区静市静原町 |
遺構等 |
曲輪、土塁、竪堀、堀切、石垣 |
現状 |
山林 |
築城年 |
弘治3年(1557) |
築城者 |
三好長慶 |
歴代城主 |
山本氏 |
形式 |
山城(比120m、標330m) |
登城時間 |
20分 |
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主郭の南下郭の石垣 |
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静原城(城谷城)の南東尾根にあり、静原神社の北東の山が城跡です。静原神社から100m程東進した1本目路地を左折し、100m先の最上段宅まで坂を上がります。このお宅の前を東へ進み、左手の山へ入っていく道を少し登り、途中から右手(東)へ進んで適当に直登しました。車は静原神社の前面道路に駐車しました。なお、城谷城へはこの城を経由して登ると良いと思います。 |
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石段 |
北の堀切 |
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【感想・メモ】 |
北端に城谷城からの尾根筋を遮断する竪堀、その南には大堀切があり、その南の主郭には北側に高土塁を設けて更に防備を固めています。この南東側に窪地があり石垣が見られますが、井戸跡でしょうか?その南には石段があり、内桝形虎口を形成していたと思われます。城谷城にも同様のものが見られます。その下段の郭には石垣も見られ、更に南に段郭が続きます。 |
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【歴史】 |
この地は、鞍馬街道と敦賀街道を押さえる洛北の要衝で、弘治3年(1557)三好長慶が築城した。天正元年(1573)、城を守っていた山城国愛宕郡の土豪・山本実尚は将軍足利義昭に属し、織田信長に背いたため明智光秀の大軍に包囲され落城した。 |
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