宍人城
【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図
小畠氏が代々居城した。『小畠文書』によると、天正3年(1575)6月、丹波国へ明智光秀を遣わす際の案内役引き受けに感謝する書状を織田信長が小畠左馬助に2度も与えており、左馬助を指導する小畠助大夫に対しても、書状を発している。また、光秀も左馬助に所領安堵や、忠節次第では新知も与えると記した書状を発しており、これらにより小畠氏はこの地に広大な城を有したと思われる。元和5年(1619)、園部城に入った小出吉親は、園部入部にあたり宍人城に逗留して城地の選定と築城に当ったといわれる。その功によって小畠氏は園部城蓮池の東台地の一部と三百石を与えられ、そこに移り住んだといわれる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行

TOPページへ

登城口

主郭北の空堀

登城口から南西へ進むと土塁と横堀が見えてきます。広い郭の北〜西〜南の三方を巡る土塁とその外側の横堀で、北西には土橋もあり、南側の土塁は一段高く櫓台のようです。ここが主郭でしょうか。北には郭内にも横堀があり、この背後の堀はかなり規模が大きいです。更にその背後にも郭があります。この主郭の北西側の郭も広く、土塁が巡らされ、北側は横矢がかかっていたり、分厚くなっています。横矢がかかっている付近は外側に横堀もあり、この郭内の北東にも堀と土塁があります。更に北西も郭のようで土塁があったりしますが、どこまでが城なのか広すぎて良く分からない上に、どういう性質の城かも分かりません。また、主郭から北方へ進むと方形館といった郭があり、土塁とその外側の横堀がしっかりしていて、北側は馬出しのようになっています。この郭は独立した館なのでしょうか?全体に土塁と堀がとても素晴らしいのですが、一体どういう城なのかがサッパリ分からないです。
【歴史】
主郭北西の郭の横矢折れ
別名
所在地 南丹市(園部町)園部町宍人平37
遺構等 曲輪、土塁、横堀、土橋、虎口
現状 山林
築城年 不明
築城者 小畠越前守
歴代城主 小畠氏
形式 平山城(比20m)
訪城日 2011/5 感想
摩気小学校から南南西へ約500m。摩気小学校の東側道路から本梅川沿いに500m程南下するとグランドがあり、右手に公民館があります。この公民館の西側が登城口で、公民館に駐車させて頂きました。
方形館の堀と土塁
ししうどじょう