塩貝城
城跡の地図
【道案内】
登城口の地図

登城口

塩貝将監の墓碑

墓所に城主だった塩貝将監の墓碑や説明板があり、登山口の標柱に従い整備された登城道を進みます。お墓から7〜8分登ると尾根に出て、右が主郭方面、左が鍛治屋敷となります。まずは主郭を目指すと堀切があり、その先両側に連続竪堀があります。主郭切岸がとても美しく4〜5m程の高さがあり、主郭は南北50mもあろうかと言うほどとても広く、土塁はありません。城址碑と説明板が郭の北よりにあり、主郭背後には堀切が有ります。引き返して、尾根に出たときの分岐を左へ進むとすぐに堀切があり、その先に鍛治屋敷と呼ばれる出丸があります。こちらの郭には土塁がしっかり巡り、北側には喰違虎口もあったりとかなり立派な郭でびっくりしました。城跡は整備されていて見やすく、変化に富んだ遺構が見られて大満足でした。
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鍛冶屋敷の喰違虎口
【感想・メモ】

畝状竪堀

別名 大戸城、上胡麻城
所在地 京都府南丹市日吉町上胡麻
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、喰違虎口
現状 山林
築城年 室町時代
築城者 塩貝将監
歴代城主 塩貝氏
形式 山城(比100m、標294m)
登城口から主郭まで約17分
訪城日 2011/4 感想
JR山陰本線「胡麻駅」から南南東へ約1.2km。胡麻駅西方約400mから府道445号で500m程南下して左折します。900m程東進して左折し(角の集会所に駐車させて頂きました)、200m程北上して右折すると墓所入口があり、ここが登城口です。
【歴史】
城主塩貝晴道は丹波の土豪波多野氏に忠誠を尽くしていたが、天正7年(1579)明智光秀によって攻略され落城した。麓には塩貝晴政の墓碑があり、晴政・晴道父子とも将監と名乗った。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
主郭
しおかいじょう