志高砦 |
畝状竪堀
別名 | |||
所在地 | 京都府舞鶴市志高 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | |||
築城者 | 三上氏 | ||
歴代城主 | 三上氏 | ||
形式 | 山城(比85m、標90m) 志高城主郭から志高砦まで約5分 |
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訪城日 | 2011/4 | 感想 | ○ |
志高城の南東尾根に位置します。登城口は志高城と同じで、由良川を岡田下橋で西へ渡り、国道175号と交差する「志高」信号を直進します。100m程狭い道を北西へ進むと左手に「宏玄寺・志高公民館」があり、ここに駐車させて頂きました。ここから北西の赤い鳥居の前を通り、山へ入って右手の道を登ると墓地があり、城跡まで道があります。志高城の北東尾根から入り、北郭から南へと主郭を経由し、南東尾根を下ると砦跡です。 |
志高城の南東端堀切から少し下ると切岸が見えます。この上が主郭で、東斜面に畝状竪堀があり、北東に堀切があります。 |
『一色軍記』に、志高城には一色氏家臣で足利尊氏と共に九州へ渡った三上氏の末裔三上宗室が居城したとある。この三上氏は佐武ヶ嶽城の三上氏と一族で、岡田地方の旗頭として重用されていたが、細川藤孝により佐武ヶ嶽城ともども攻め落とされた。 参考資料 『舞鶴の山城』舞鶴山城研究会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
しだかとりで |